「戦後80年とわたし」熊本スタディツアー最終日
昨晩の生徒たちは、遅くまで大切な時間を過ごしたようです。
自分の見た景色や感じたことを一生懸命写す生徒、
何人かで集まって語り合ったり、
教員に相談したりしている生徒。
夜も更けて日付が変わっても語り明かした時間もまた
大切な成長の糧となっているのでしょう。
それぞれに学んだことを消化したり、
考えたり、体を休めたりする、そんな夜を過ごしました。
夜が明け、いよいよ水俣を後にします。
その前に、もうひと踏ん張り。
自分達の学んできたこと、感じたことをまとめ、考え、
それを仲間に伝え合う感想交流の時間です。
自由の森学園での学びは授業をともにつくること。
スタディツアーでの学びもまた、
現地で出会った方たち・現地の風景との出会いだけではなくて、
講座の仲間たちとともにつくりあげるものでもあります。
一人で来るツアーとの違いは、
ともにツアーをつくることが出来る仲間がいること。
かけがえのない時間に感謝しつつ、感想交流です。
エコパークのメチル水銀。
埋め立てられた場所の耐久性はあと40年ほど、
という話から、
再び同じことが繰り返されてしまうのではないか
忘れずに工事をして埋め立て続けていくことが必要になるということ
そしてだからこそ
「水俣病は終わっていない」ともいえるのではないか、
という感想が寄せられました。
資料館での資料の展示のされ方、見せられ方、
そしてそこにどれほど行政が入っているのかといった
広島や長崎などの戦争資料館と比較した視点からの感想、
胎児性水俣病患者の坂本さんのお話や
様々な当事者や支援者の方たちの言葉に
資料館で触れた所からひろがるイメージや発見、驚きなど。
初日の学びの中であったアジア太平洋戦争。
その時チッソは朝鮮半島に進出し、
軍とも結びつきながら大企業へと成長していきます。
植民地での支配を通した大企業への成長は
終戦とともに終わったはずなのに、
戦後、水俣の地で繰り返されてしまった。
なぜ終戦を経ても変わらなかったのか?
ある生徒の問いです。
戦時中と戦後が結びつきながら、
それぞれの中での感想という名の物語になっていきます。
前日に、坂本さんが最後におっしゃっていた
「戦争を繰り返してほしくない」という言葉が
ふいに頭をよぎります。
互いに感想を伝え合う時間はあっという間に終わり、
いよいよ埼玉へと帰ります。
美しい海、美しい空。
そうした自然と人との営みといった
環境についての意識に終わらない、
様々な運動の歴史や裁判、
差別の構造や歴史、伝承をめぐる資料館やモニュメントの在り方など。
多くの視点からの発見と同時に
容易に「分かった」と言い切れない、
理解しえない難しさに
生徒たちはモヤモヤも抱えながら帰ります。
むしろこのモヤモヤこそが、次の学びにつながっていく種となることでしょう。
「語る」の語源は
「カタアル」(象有/形有)という説があるそうです。
自分の感じたこと、学びや発見、疑問なども含むモヤモヤを
少しずつ、周りの誰かに「語る」ことを通して
形にしていってほしいなと思います。
この1回で学びが終わるわけではありません。
今はまだ分からないこと、
受けとめきれない学びはなくなるのではなくて、
また今後大学の授業や誰かとの旅行など
再び水俣を訪れた時に思い出して。
その時にまたより深く知って、考えていったら良い。
引率についてきていた教員から
最後に伝えられた言葉です。
無事に熊本県でのスタディツアーが終了し、
埼玉に戻りました。
熊本市や水俣市で受け入れて下さり、
関わってくださった皆さんに
この場を借りて感謝を申し上げます。
そしてスタディツアーをともにつくった生徒のみなさん、お疲れ様。
これからまた学びが始まります。