はじまりをつくる。と、おわりをつくる。 この時期、 「 おわりをつくる 」という言葉が、 自由の森の1年間の学びの締めくくりで、よく使われる。 しかし、通常時でも「 おわりをつくる 」のは 非常に難しい。 そして今、こんな形でおわりをつくる事になるとは・・・。 放課後、廊下を歩いていると ある教員に声を掛けられた。 その時はさほど事の重大さは感じなかったが、 外に出てみて、すぐに何かを感じ、振り返った。 すでに、それを感じ取った生徒たちがそこに集まり始めていた。 それは、聞いたことのないような音の圧力だった。 やり場のない怒り、悔しさ、 この先の未来への不安や、やるせ無さなどが混じった 音だったと思う。 向かいの校舎の3階、 もうひとつの特等席につくと、 今日昼に見た、あの生徒たちだった。 数名の「 観客 」の前で披露された、秩父屋台囃子。 本来なら、これから仕上られていったであろう秩父屋台囃子。 放課後、自主的に集まった高校3年生の生徒たち。 最終バスギリギリまでそれは続き、 あの音はハーモニーに変わっていた。 いつの間にか、向かいの校舎の生徒たちに囲まれていた。 「 やっぱり高校3年生、すごいな。 」 という憧れと、うらやましさが混じった声が聞こえた。 そう、自由の森には、もうひとつの3年生がいる。 中学3年生の声だった。 彼らの卒業式は、さらに一週間後。 その一週間でなにが起きるか、なにが起きないか。 おわりをつくる事の難しさ。 当たり前に、 おわるをつくれる事がどれだけしあわせな事なのか。 だれも答えを知らない問題が、この先きっともっと起きる。 だからこそ、今日1日をどれだけ本気で過ごせるか、 本気でつくれるかが問われているのかもしれない。 今日ふたつの「 おわりをつくる 」場面に出会えた事。 今日勇気を振り絞ってくれた生徒たちに感謝いたします。 石井