2017年度 自由の森学園高等学校卒業式 校長の言葉
卒業生のみなさん 卒業おめでとうございます。
保護者のみなさん、お子さんの卒業おめでとうございます。
そして、これまでの学園に対するご支援とご協力に感謝申し上げます。
今日、みなさんはこの自由の森学園を卒業し、明日からは一人ひとりが
それぞれの進路を歩んでいくことになります。
「生き方としての進路」、みなさん知っての通り、これは自由の森学園の進路についての考え方です。進学や就職にとどまらず、その先にある「どう生きていくのか」ということを考えていくことを大切にしたい、そのため「生き方としての進路」と名付けています。今日は最後にこの「生き方」についてお話をします。
最近「君たちはどう生きるか」という80年前に書かれた作品が原作となった漫画が、ベストセラーになっています。原作者は、雑誌「世界」の初代編集長の吉野源三郎さん。15歳の「コペル君」というあだ名の少年が叔父さんとの対話を通じて、貧困やいじめ暴力という社会に横たわる大きな問題と向き合いながら成長する物語です。みなさんの中にも読んだというひとがいるかもしれません。
なぜ今この本が多くのひとに読まれているのか?
この作品が書かれたのは1937年。その前年には2.26事件が起こり、軍国主義が台頭し、言論が統制され、1937年夏に盧溝橋事件が勃発し日中戦争が全面化、そしてアジア太平洋戦争へとつながっていく、そんな時代を背景とした作品です。
そんな時代と現代との共通点を指摘する人がいます。
ジャーナリスト池上彰さんもその一人です。
「同調圧力のような、ちょっとでも政府の方針に違反すると、売国奴とか非国民とか、そういうことを言われるようになってきた重苦しい雰囲気。今なにか政府を批判すると、それだけで反日とレッテルをはられてしまう。ネットですぐ炎上したり、なんとなく若者も空気を読む。まわりを見て忖度(そんたく)をして、という形で息苦しい思い。当時と、共通したようなものがあるのかなと思う。」※1
原作者の吉野さんは1931年に治安維持法違反で検挙され、1年半も投獄されながらも、この本を子どもたちに届けようとしたのでした。
文芸評論家の斎藤美奈子さんも「コペル君が生きた30年代と現代の空気に通じるものがあるのかもしれない。」と書いています。そのうえで「見落とされがちですが、コペル君は、先の大戦での学徒出陣で命を落としていく世代なのです。」※2と続けています。
私はこれを読んでハッとしました。1937年に15歳ということは、学徒出陣のはじまった1943年に21歳。コペル君は、まさに第1回学徒兵として戦場に向かうことになったのでしょう。
人間とは何か?社会とは何か?どう生きるべきか?悩み考え続けた多くのコペル君たちは20歳そこそこで戦場へとかり出され、生きることを断念しなければならなかったのです。
若者たちが生きることを断念せざるを得ないような状況、つまり戦争をくり返してはならない。そうして日本の「戦後」はスタートしたはずです。
「平和に生きること」「自由に生きること」が揺れている今だからこそ、私たちは何を学び、考え、どう生きていけばいいのか、一人ひとりが問われているのでしょう。
ここに「君たちはどう生きるか」と似たタイトルの本があります。
「いかに生き、いかに学ぶか」遠山啓さんの本です。
遠山さんは、自由の森学園の掲げる「点数序列と競争原理に依拠しない教育を実現する」という教育理念を提唱した人です。今から40年前に書かれた本です。
この本は、「本当の学びがしたい」という理由で高校進学をやめ、小さな設計事務所で働く16歳の女性とその仲間の高校生たちと遠山さんとの対話を、往復書簡の形式を取って書かれています。設定もどこか似ているような気がします。
人間とは、生きるとは、愛とは、戦争とは、働くとはどういうことなのか、遠山さんは、この手紙の中で、若者たちが自分たちで考えるヒントを指し示していることがわかります。
その中で、遠山さんは「観の教育」の大切さについて書いています。
「僕のいう観というのは1人ひとりが自分で苦労してきずきあげていくものなのだ。1人ひとりがそれまでに自分の体験したこと、身につけた技術、学んだ知識を総動員して人間とは、世界とは、生命とは何か、あるいは人間は、とくにこの自分はどう生きていったらいいかを考える。そうしてえられた人生観・世界観・社会観などをぼくは観と言っている。(中略)
これまで観を持つ人間は政治家や学者などごく少数のエリートと呼ばれる種類の人たちだけでいいという人もあった。それは間違いだと思う。日本人のすべてが、みな自分自身で創りだした人生観・世界観・社会観・政治観…などの観を持つようになってほしいのだ。」※3
一部の政治家や学者、マスコミの言葉を鵜呑みにするのではなく、自分で考えて判断していくことの大切さを、「自分自身の観を築くことだ」と遠山さんは言っています。
これは、「君たちはどう生きるか」で吉野さんが提起している「僕達は自分で自分を決めるちからを持っている」ということとつながっているのだと思います。
「生き方」は誰も教えることなどできません。ただ、自由の森で学んだみなさんには、このことはわかってもらえると思っています。
早く、効率よく、なるべく楽に あたかも近道を探すように生きるのではなく、自分にとっていい方法とは何かを考えて模索して選択していくことを大切にしてほしいと私は思っています。
限られた時間内で効率よく正解を出していくという「テスト学力」と「生きる」ということはイコールではありません。
世の中の常識や社会の風潮に流されるのではなく、自分の学んできたことをベースとした「観」に基づいて自分自身を生きるということを大切にしていってほしい。そして、そのような一人ひとりが尊重される社会を形成する一人であってほしい。私はそう願っています。
最後に遠山啓さんの言葉をみなさんに贈ります。
「ほんとうに強い精神は、固体よりも液体に似ている。どのような微細な隙間にもしみ通ることのできる柔軟さを、それは保っている。液体はどのように変形し流動しつつも、体積の総和は不変であるが、精神の強さというものも、そのような種類の強さではなかろうか。」※4
卒業おめでとう。
2018年3月3日
自由の森学園高等学校 校長 新井達也
※1 NHKクローズアップ現代「2018新たな時代へ君たちはどう生きるか」2018年1月9日放送より
※2 朝日新聞「クロスレビュー君たちはどう生きるか」2017年12月15日朝刊
※3 「いかに生き いかに学ぶか」 遠山啓著 太郎次郎社
※4 「風刺文学への期待」遠山啓 「遠山啓 行動する数楽者の思想と仕事」友兼清治著 太郎次郎社エディタスより引用